第44回 暮らしを照らす光の彫刻
AKARI テーブルスタンド 1AD
娘がまだ幼かった頃、横浜市にある「こどもの国」を何度か訪れた。広大な敷地の中には芝生や大きな遊具、プールやグラウンド、牧場まであり、子どもと休日を過ごすのには打って付けな場所だった。実はその頃は全く知りもしなかったのだが、公園内にはなんとあのイサムノグチがデザインした古い遊具があったらしい。1965年に設計されたそれらは多分当時としてはかなり先進的で、心躍るような遊具彫刻だったに違いない。しかしその後、よりアクティビティ性の高いものが沢山設置されノグチの遊具で遊ぶ子どもも少なくなってしまったようで、今は公園の片隅にひっそりと存在している。公園に訪れている人たちも、まさかこれが世界的彫刻家でありデザイナーでもあるイサムノグチの作品だなんて、思ってもいないだろう。しかしそんな風にイサムノグチの作品は、実は私たちのとても身近な場所に存在していたりする。中でも和紙を使った照明「AKARI」は、最もよく出会う作品の1つだ。和紙と竹ヒゴで構成された提灯のようなまあるいペンダントは、飲食店や宿泊施設などで1度は目にしたことがあるのではないだろうか。
岐阜提灯との出会い
1951年、イサムノグチは広島の平和公園にかける2つの橋をデザインするため、来日した。その際、長良川の鵜飼を見物しに岐阜へ立ち寄り、その地で目にした岐阜提灯に深く興味を抱く。そんなノグチに当時の市長は、低迷する提灯産業の活性化のために協力を求めた。提灯工場を見学しその製法の単純さと柔軟さに新たな可能性を見出したノグチはすぐ次の晩、2つの新しい提灯をデザインする。そしてその試作の出来栄えに大変満足したノグチは再び岐阜に赴いて、15種類ほどの変形提灯を制作。スタンドや金具の構造などにも工夫を重ね、提灯本来のたたんで収納できるという特徴も兼ね備えた「AKARI」は、こうして誕生した。それ以来ノグチはしばしば岐阜を訪れては、新作作りに取り組んだという。一定の素材や形態に固執することを避けたノグチには珍しく、なんと35年の月日をかけて、200種類以上ものAKARIを生み出したそうだ。
コンパクトなスタンドライト
今回ご紹介するのは1ADというテーブルスタンドで、1950年代からずっと制作されて続けているスタンダードなモデルだという。AKARIのシェードにはイサムノグチ手描きの抽象模様をあしらったものがいくつかあるが、これは発売当初の日本に於いて無地の白い提灯は葬祭用のイメージが強かったかららしい。なのでこの1ADも鈴口のような模様が、アクセントになっている。組み立てると大体φ260×H430mm程度。コンパクトなのでリビングボードやサイドテーブルの上にも置けるし、和室や廊下の足元に置いて常夜灯にするのにも良く、住空間の様々な場所で使いやすいサイズ感だ。
そして提灯をベースに作られているAKARIの大きな特徴は、小さくぺしゃんとたためる収納性。また可能な限り軽くなるように作られているため、シェードの上に飛び出たワイヤー部に指を引っ掛けると指1本で持ち上げることができる。
シェードの下方には、I.Noguchiのサイン。下から覗き込まなければ気づかないであろう場所にあるのも、ちょっと心をくすぐられる。
アイデンティの苦悩と葛藤
日本人の父とアメリカ人の母の間に私生児として生まれたイサムノグチは、二つの国の間で自身のアイデンティティの葛藤に苦しんだ。少年期は日本で暮らしたが、学校ではいじめや差別を受ける。そんなノグチを癒したのは、日本の美しい自然だったという。13歳で単身渡米し、その後医学部に進学。当初医師になるつもりだったが偶然にも日本名の名字が同じである野口英世に出会い、背中を押されて芸術家の道に進むことを決心したそうだ。しかし、彫刻家としての才能が開花してからも、日米双方の社会に拒まれる苦難を味わうことが度々あった。二重国籍に生まれ自分が何者なのか、どこに帰属しているのかを常に問い続ける人生。そんなノグチは多くの旅をしたという。二つの国の間で苦悩したノグチは国境を越え、世界に自分の居場所を求めたのかもしれない。
様々な空間に合う光の彫刻
和のイメージが強いAKARIの照明だが、そのモダンなデザインはナチュラルな空間や欧米の住宅など様々なインテリアに不思議とマッチする。明かりをつけた時の美しさはもちろんだが、昼間ライトを消している時でもオブジェのような存在感を放つ。世界中から賞賛を受けた光の芸術「AKARI」は、世界に居場所を求めたイサムノグチのアイデンティティそのもののようだ。
イサム・ノグチの創作活動は彫刻に限らず、舞台美術や家具などのプロダクトデザイン、公園や遊具、造園、作庭など多岐にわたる。しかし「すべては彫刻である」というのがノグチの理念だった。「AKARIも自分にとっては彫刻。彫刻は高いからなかなか皆が買うことはできないが、AKARIなら誰でも買えるようになるから嬉しい」と。
AKARIという名前
孤独な少年時代を過ごし自然に心を救われたノグチは、特に障子に映った月明かりが好きだったという。
「僕は自分の作品に『AKARI』と名づけました。ちょうちんとは呼ばずに。太陽の光や月の光を部屋に入れようという意味から『明かり』という言葉ができ、漢字も日と月とでできています。近代化した生活にとって、自然光に近い照明は憧れであり、和紙を透かしてくる明かりは、ほどよく光を分散させて部屋全体に柔らかい光を流してくれる。AKARIは光そのものが彫刻であり、陰のない彫刻作品なのです。」ーIsamu Noguchi
>おわり
ご紹介アイテム
センプレ創立メンバーで、現在フリー・デザイナーの小林さん。そんな内からも外からもセンプレをよく知る方に、時には感性鋭いデザイナーの目で、 時には一家を支える主婦の目で、センプレの扱っている商品のことを定期的に書き下ろしていただきます。
コラム一覧はこちら>
文と写真 小林千寿子 / フリーランス・デザイナー
神奈川県在住。
グラフィックデザイン会社、(株)ゼロファーストデザインを経て、1996年に(株)センプレデザインの立ち上げに参加。
センプレでは主にショップのカタログなど、グラフィック部門を担当。
1999年からフリーランスで、活動中。
大学生の娘と夫との3人暮らし。